誘淫
夏の暑さから解放され、本格的に木枯らしの季節を迎える前の今頃はパンスト脚の花が街じゅうに開く。陽射しが弱くなると
ダークブラウンや黒のパンスト脚が目につくようになる。春から初夏にかけてナチュストが増えるのと好対照を成している。
超ミニスカにしろショーパンにしろ脚の部分の露出が多ければ男の視線は本能的に脚に注がれる。見て見ぬふりをしながら視線は脚を
追いかけている。下から覗きこんでいるわけではないのだから、堂々と観賞してなんの問題もないのだが、なぜか伏し目がちになる。
女は男の視線が集まることを知りながら、見つめ続けられれば迷惑そうな表情を見せて振り返る。ならば隠せ! と言いたくなるが、
パンストを穿かない女ばかりが増えたところで潤いにも癒しにもならない。見られることで女を磨くつもりで美脚を披露してほしいものだ。
発想の転換
流行と値段
ミニスカがブームになると同時にパンストが爆発的に売れるようになった。1968年のことで、アツギのパンストの値段は400円だった。
翌年になると量産効果があらわれたのだろう。300円となり、その後年を追うごとに値下がりを続けた。1972年には150円となっている。
値段が安くなっただけでなく、品質も格段に向上してきていた。その頃にはもうサポートタイプパンストが市場に出回るようになり、
通常のパンストが130円で売られていた1975年に500円もしていた。オールヌードの発売がいつだったか忘れたが、三日月のない、
足指が鮮明に見える編み方は斬新で、視覚を刺激した。そして、舐めやすくなった、舐めてみたい。そう思わせる新製品だった。
無邪気な小悪魔
これのなにがいいの? パンストを穿いた脚の魅力などなにもわからない無邪気な顔で首を傾げながら、女は男をからかい始める。
女は男の視線が三日月や太もも、足首に出来るナイロンのシワや畳の上での足裏に注がれていることに気付いている。
小悪魔のようなずるい笑みを隠しながら男の淫靡な視線を受け止めて楽しんでいるかのようにふるまっている。
おそらく女は男を弄んで歓ぶ本能が備わっているのだろう。可愛らしい外見がその邪悪ともいえる素質を覆い隠しているのだろう。
もし神が女の本質を外側から見えるようにしていたならば、男はこうも女に翻弄させられることはなかったのではないだろうか。
純情な女に性の歓びを教える。うぶな女に性の技巧を教える。それが淫らな底なし沼の快楽を教えることに気付かず女の目を開かせる。
すべては大いなる誤解から始まっている。制御可能に見えた小悪魔がいつしか男を手玉にとる魔女に成長する。そして男は逃れられなくなる。
まるでクモの巣にからめとられたかのように身動きすら出来なくなる。パンストはクモの巣か撒き餌(まきえ)だったのかもしれない。
幻惑
パンスト美脚フェチは変態などではなく美への感受性が豊なのだと思う。ナマ脚の前にパンストという薄いナイロンを通して
脚に対する憧れを醸成しているのだと思う。パンストが織りなす限りない色から生まれる悩ましさをも楽しむ。それがフェチだと言える。
即物的な欲望を満たせば終わりなのではなく、想像力を含め五感のすべてを駆使して脚を観賞して女を歓ばせようとする。
薄黒パンストが見せる肌とのグラデーション、ブラウンストが醸し出す妖しさ、それらの賛辞はフェチ以外には理解されない。
パンストを穿いている女性にもわかってもらえることはないだろう。ただ、パンストフェチに理解ある女性は必ず存在する。
そしてその女性ならばストフェチを変態とは思わない。良さが理解できなくても自身のスト脚を褒めてくれることをうれしく思っている。
世代の意識変化
ペディキュア
暗黙の了解
破られるもの
アドレナリン
土禁車
上つき下つき
細菌
サブリミナル
稲妻
単純な編み方だった昔のパンストは頻繁に伝線した。爪で傷つけただけでも一直線に伝線が走った。まるで稲妻のように切り開いていく。
マニキュアを塗って応急措置をする女の姿は可愛かった。穿き続けることが出来なくなったパンストを穿き替える。更衣室がなければ
女子トイレの個室で新品に穿き替えた。残業で独りの時に女子トイレの扉を開け、ダストボックスに小さく丸まったパンストを発見する。
手に取り、ポケットに押し込み女子トイレをあとにする。誰もいないとわかっていても左右を確かめ、ライトを消して急ぎ足で戻る。
パンストを手に入れた興奮よりも女子トイレに忍び込んだこと、この伝線パンストを穿いていたあの女性がどんな匂いなのかを想像して興奮した。