女の恋は上書き保存
女は終わった恋を引きずらず新しい恋をそれに上書きしてしまう。古い恋がどんなに悲しい結末であって、悲劇のヒロインになったと
しても女は上書き保存して前を向く。切り替えが素早く、それが女という生き物の特性なのだ。なにごともなかったかのように新たな出会い
を見つめ集中する。まるで過去の男など存在しなかったように振る舞うからカミングアウトさせる悦びがあるとも言える。
過去の男にどんなふうに仕込まれたかを告白させる。それまでの変わった行為を告白させる。上書きしてしまったはずの過去が徐々に
蘇る。消去したはずの切ない記憶を呼び起こす。直穿きも束縛も経験済みかもしれない。放置も露出も撮影も仕込まれているかもしれな
い。女の恋は上書き保存であるがゆえに、自分色に染め変えやすいとも言える。淫らな行為もいずれ上書き保存されるかもしれない。
闇コン
暗闇合コン=闇コンが人気になっているとなにかで読んだ。相手の声やニオイで気に入るかどうかを判断するらしい。成立となって
初めてお互いの顔を知ることが出来るシステムだそうだ。スト美脚フェチとして、これをスト美脚観賞会に応用できないものかと思う。
女性はフルフェースでもアイマスクでもいいから顔を隠す。顔の好みで美脚の優劣に干渉させないためと、女性の羞恥をなくすためだ。
観賞会のルールは女性へのタッチをしてはならないということ。フェチたちはこうした制約を破る者はいないだろう。美を愛でるフェチ
にとって最低限のマナーは誰もが身に付けている。触られることはないが、男たちが鼻を近づけてほのかなニオイを嗅いでいることは
わかる。賞賛の言葉が闇の向こうから浴びせられる。パンストをまとった肢体に歓喜の声が上がる。まんこがじわりと熱くなる。
女子フィギュアスケート
女子フィギュアスケートの規定で、競技ではベージュのタイツ着用が義務付けられている。デニールについての規定はないようだが
あまりに厚いタイツを穿いている選手はいないように見える。フェチはテレビ中継を見るたびに直穿きスケーターが舞うシーンを見てみ
たい妄想にとらわれる。レオタードを着ているのだから不可能なことはわかっているが、それならせめてスーパーハイレグにしてほしい。
欧米の選手がノーシームのパンストを穿いて躍動する姿を見たら病人も生きる元気をもらえるのではないだろうか。アスリートたちの
可憐だが熾烈な戦いを見ながらもフェチは妄想をたくましくしている。新体操、シンクロナイズドスイミング、競泳、あらゆるシーンでパン
ストで脚を飾ったアスリートたちが乱舞するところを見たい。けっして競技を冒涜しているわけではない。女性美の極致を見たいと願うのだ。
変態事始め
処女の娘にとってはフェラすら変態の極みだろう。まんこやアナルを舐められることなどまともな人間のすることとは思えないはずだ。
大好きなカレが自分のまんこを舐める、大好きなカレのものであっても排泄液の出る、凶暴そうに肥大化して硬くなったちんぽを舐めて
ほしいと言われて内心で驚いてしまったことだろう。でも幾度か繰り返すうちに相手も自分もその快楽に溺れてしまうことが標準となる。
「どこが気持ちいい?」と訊かれて言えなかった隠語も何度か口にすることでいやらしい興奮が満ちてくるのを知ると平気で言える。
「ちんぽ、ちんぽほしいの」といったはしたない言葉も平気で口にするようになる。楚々とした女が娼婦も顔負けの淫乱性を内に秘める。
女の口から「まんこ、ちんぽ」とおねだりさせる行為にはサディスティックな悦びがある。外と内のギャップが大きい女に萌えるのだ。
女心
勝負パンツあるいは勝負下着と今でも呼ぶのだろうか。下着姿を晒す時点で勝負はついているようなものだと思うのだが、ダサい
下着ではそれを見られた途端に「次はない」ということなのだろう。だから女は常にレースやセクシーなデザインの下着を身につけて
いなくてはいけないと思う。見せるモノではないからといってオバさんパンツを穿いているようでは女を棄てていることになりかねない。
男もまた女のそんな想いに応えてやるべきなのだろう。飢えた獣のように、いきなり下着を剥ぎ取って食べてはいけないということだ。
下着の可愛らしさを讃えることで女のセンスの良さを褒めていることになる。パンストの感触を楽しみ、可愛らしい下着を愛でてやる
余裕を持たなくてはいけない。ただ、女は「早く脱がせて、まんこを気持ち良くして……」という心理がある。だが、やっと裸に剥かれて
「ああっ、やっと……」という時になってまんこを観賞されていると「恥ずかしい……そんなに見ないで」と暗にその先を求めてくる。
全裸コート直穿き
妻み食い
他人(ひと)妻が美味いのは背徳の出汁が効いているからだ。夫がいる身の女を裸に剥いてあられもない喘ぎ声をあげさせ、過去の
男遍歴やダンナとの性生活をその可愛い口から語らせる。家にも近所にも内緒で間男との秘め事に心をときめかせる他人妻は可愛い。
間男が待つところまでパンスト直穿きで来るよう命じれば素直に従う。スカートの下など誰も見ていないのに、緊張感からまんこを濡らす。
他人妻の家に足を踏み入れる背徳感は格別だ。今はレスでもかつてはダンナとの肉の交流があった部屋でその場面を想像する。
女が抱かれていたのと同じ場所で女を鳴かす。そして主婦の聖域と呼ばれる台所で淫らな行為に耽(ふけ)る。裸エプロンにパンスト
直履きの女のまんこにナスを挿入して感じさせる。淫汁のたっぷりついたそのナスを洗わず冷蔵庫に戻し、ダンナや子供と囲む夕食の
一品として食卓に並べて食べさせる。その時の反応を次の機会に話させる。妻み食いの醍醐味はそれだけに留まらず無限にある。
感想
初めて大人(毛が生えそろった頃の年代と言い換えてもいい)のまんこを見た時の衝撃は大きかった。少女の白い肌と一体になった
スジマンしか知らなかったのだから、色が黒くうごめくようなまんこが信じられなかった。それは女も同じ想いでいたようだ。成長するに
つれてまんこは下ツキになってくる。鏡に正対すると見えていたスジマンが思春期を過ぎる頃にはそのままでは見えなくなる。
だから性長したまんこを見ないまま女は女らしくなる。鏡に映るまんこを強制的に魅せられた女は一様に「いやらしい」「気持ち悪い」
「男はよくこんなものを舐めれる」と思うそうだ。しかしその気持ち悪いまんこはこの世の極楽をもたらしてくれる。グロテスクに見えた
ちんぽとの二人三脚で女は快楽の海に溺れる。女は自分でまんこを舐めれない代わりにちんぽを頬張る。
変態の妄想
変態=アブノーマルは標準を外れたものを指す。だが、性行為のすべては変態だと思う。クンニもフェラもアナル舐めも正気では
考えられないふるまいだと思う。精飲、聖水直飲み、3Pなどの複数プレイ……どれもが変態の範疇に収まってしまうものばかりだ。
しかし、男と女が合意していればそれは変態ではなく性行為のスパイスに過ぎなくなる。アナルでの交尾も拳挿入でも悦びを知って
しまった女にとっては変態ではなく、そうしたカラダを持つことは誰にでも出来ない素晴らしい特権のようにさえ思えてくるだろう。
パンストを一日じゅう穿いて匂うパンつまに興奮するのも変態ではなくごくノーマルなことだ。匂いは異性を引きつける重要な
ファクターのひとつだからだ。直穿きで淫汁がべっとり付いたパンストを手にする悦びもまたノーマルだと思う。女の聖なるパーツ
から溢れ出た汁がそこにある。変態は朝にパンストをまんこの中に埋め込んで、更に直穿きさせて出かけさせたいと考える。
まんこの中のパンストは溢れる淫汁を吸ってベトベトになるのだろうか。直穿きはそれでも淫汁を光らせるのだろうか。試してみたい。
残滓(ざんし)
以前の記事でパンストとコンドームの類似点を指摘した。あらためて脱ぎたてパンストを見ると、ちんぽから外したコンドームとよく
似ていると感心させられる。ぴったりと足や脚に密着していたパンスト、陰茎に張りつくようにちんぽを覆っていたコンドーム……どち
らも性的興奮に満ちている。男がやさしくパンストを脱がす、女が余韻の中で精液のたまったコンドームをそっとちんぽからとりはずす。
夏の蒸し暑い昼下がり、パンストを脱いでナマ脚になった女たちはみなあ「脚にあたる風が気持ちいい」と歓びを語る。交尾もまた
野暮なゴムにジャマされずナマのちんぽでまんこのヒダをこすられるほうが気持ちいいに決まっている。生理直前に中出ししたくなる。
脳内分泌による麻痺
ししゃも
女性の体形は10年単位で驚きの変化を見せる。昭和50(1975)年頃はヒザが出た脚の女性は珍しくなかった。真横から見て段差があった。
しかし平成元(1989)年になると女性の脚はまっすぐになっている。わずか14年の間でこんなに変化している。巨乳についても同様だ。
AVで巨乳が登場したのは昭和60(1985)年前後のことだった。日本人がCカップ以上のブラをつけることが珍しいことではなくなった。
ここはパンスト美脚フェチたちが集うところだから脚に特化して思いを書くと、ふくらはぎが「ししゃも」になっている女性を見かけなくなった。
もともとマイノリティーであったかもしれないが、電車内やデパートなどで見かけないということはなかった。細い脚でもふくらはぎはメスの
ししゃもの腹のようにぷっくりとふくらんでいた。今はそれもなく、女性の脚は実に美しくなった。美脚フェチの願望が聞き届けられたかのようだ。
熟成肉
好みの問題であるが、果汁たっぷりのはちきれそうで硬い果肉の果実よりも、熟して甘さと柔らかさが増した、今にも枝から落ちそうに
なっているほうを好む人がいる。ステーキも同じことで、ハリと弾力があって、そっと触れるだけで肉汁が溢れだす幼肉を好む人がいれば
時間の魔法にかけられて柔らかさも口どけも段違いになった熟成肉を好む人に別れる。優劣ではない。そういう嗜好に別れるというだけだ。
どちらかの嗜好に囚われるわけではなく、年齢や経験と共においしいと感じる味覚も変わる。幼と老を巧みに食べ分けても問題はない。
経験の浅い若い女を仕込む楽しみ、経験が浅くてもアラフォーとなった女を夢中にさせる楽しみ、さらには経験を積んで淫靡な性癖を
内に秘めてちんぽをほしがる熟した女……。それぞれに味わいが異なる。食べ比べてみたくなるのは女体グルメの本能のようなものだ。
春の予感
大寒を前にして寒さの緩む日が僅かながら訪れてくるようになった。まだまだタイツ姿の防寒服が圧倒的に多い中にあって、季節を
先取りして街行く男の視線を独り占めにするかのように極薄パンストで美脚をさらして颯爽と歩く若い女性の姿を見かけることができた。
ある日、黒スト美脚を誇示するかのように駅のホームを歩いていたのは二十歳になったかどうかという可愛らしい女性だった。
別な日にはデパートのフロアに備えられている休憩用のベンチに座る二人のOLふうの女性が極薄ナチュスト脚を見せていた。まぶしく
輝くふくらはぎはとても美味しそうに見えた。一人の女性がいきなりショートブーツから足を抜き、補強付きのつま先を空気にさらしていた。
通りかかる男の目などまるで意識しないとでもいうふうに、いっしょにいる女性との話に夢中になっていた。可愛い小さな足だった。