鬼の撹乱
ボージョレヌーボー
タブー
お互いが理解しているのであればどんなフェチも変態ではない。シャワーを浴びる前の、汗と小便のニオイが残るちんぽを
愛おしそうに頬ずりした後に鼻に押し付け、更においしそうにしゃぶりつく女を見て「ちんぽ奴隷」「ちんぽ狂いの変態女」などと
言葉責めすることはあっても、それは本心から変態と思っているのではなく、交尾を楽しくするためのスパイスになっているからだ。
アナル舐めや足指舐めをうっとりと繰り返すのも性行為にあっては自然なことだ。強烈なはずのニオイが甘美な芳香に変わる。
男女ともにタブーはない。お掃除フェラなど掃除なのか汚しているかわからない行為も「お掃除」と言い換えることで錯覚させる。
まんこに指を挿れてかきまぜる「壺洗い」も洗っているわけではない。指は明らかに汚れる。でもそれを「洗う」と言い換えて楽しんでいる。
ヘア解禁
正規出版物としてのヘアヌード解禁は1991年の「WATER FRUITS」と「SANTA FE」というのが年表上の定説となっている。
もちろん80年頃にはもうビニ本でヘア(=陰毛)全開の印刷物は出回っていたのだが、それらはあくまでもアングラ出版物であり
取り締まりの対象だった。ボーダーライン上のヌード掲載誌編集長とカメラマンは日常的に警察の呼び出しを受けて事情聴取に
応じていた。決して強く反論せず、「影のように見えませんか?」と、さりげなく陰毛を写していないことをアピールしていたものだ。
毛が見えるからいちゃもんをつけられるのだったら剃ってしまえば問題ない、と考えるディレクターがスチールにもムービーに
も同時発生したのもその頃だった。ただし、交尾そのものを描写することは出来ず、よがり顔の女がシーツを握りしめることで
その場を連想させるといった日本独自の映像表現を創り上げた。今から思えばバカバカしいほどの攻防が展開された。個人も
街のDPEでは髪焼きをしてもらえず、投稿雑誌にパトローネごと郵送して現像・目隠し掲載してもらった時代があった。
観賞
収納
まんこにいくつローターが入るだろう。どんな女でも10個は楽々とクリアするだろう。こんなものにギネス記録などないが、
ごく普通サイズのローターならば20でも可能だろう。実際にどれだけ入るかトライしてみようとは思わないが、5個程度を沈めて
そのすべての振動数を変えて同時に震わせて散歩させてみたいサディlスティックな願望がある。明らかな変態だ。
まんこからローターの振動音がかすかに響く。女はその音を悟られまいとまんこを締めつける。でもまんこの中ではもうひとつの
音が響き始める。ローターが互いにぶつかり、カチカチという硬質プラスチック特有の音を奏で始める。まるでまんこの中で演奏会が
始まったかのような錯覚で、女は顔を赤くする。外に聞こえるよりも内臓を通して聞こえる音はより卑猥で大きいのだろう。
残滓(ざんし)
同窓会
出会いサイトで女を釣れることがある。だが、そこには金銭目的や美人局(つつもたせ)などのトラブルが潜んでいることも多い。
同窓会は意外な出会いの穴場と言ってもいいかもしれない。少なくともそこに美人局は存在しないだろう。青春を懐かしみ、酒で
リラックスし、話がはずむ。お持ち帰りも簡単なはずだ。性の悦びを存分に体に染み込ませている年代だ。もう二人は大人なのだ。
ダンナとはセックスレスであってもおかしくない。結婚して10年以上経てばレスになる。男が女房を抱かないのと同じ理屈だ。
でも体はやりたい盛りだ。あの頃清楚だった少女も今はすっかり性欲に支配されたメスと化している。思う存分狂わせてやる。
アナル舐め、腋舐め、足指舐めは未経験という女も珍しくはない。一見不潔と思える場所が感じることを初めて知った女は狂う。
助手席プチ露出
女を助手席に乗せてドライブする。人通りの少ない郊外に着くまでの一般道でスカートを脱がせる。もちろん社外からは見えるはず
がない。でも女は外からの視線を気にして戸惑う。特に信号で横に車が並んだ時など、うつむいたまま言葉をなくして下を向く。対向車
とすれ違う時もはしたない姿を見られているのではないかと胸が高鳴る。静かな車内に心臓の鼓動が聞こえるような錯覚に陥る。
「お前のきれいな直穿き下半身を独り占めできるなんてたまらない」「恥じらうお前がかわいいよ」「よく言いつけどおりにしてくれたね」
賛辞とともにパーキングで女を抱きよせ褒めてやる。「さ、もうすこしで目的地だ。今度はオナニードライブを楽しむんだよ」「……」
「パンストの上からでいいからまんこを触って可愛い声を聞かせてほしいんだ」 無言の女の指が股間に伸び、ぎこちなく手が動く。
上つき下つき
まったく個人的な嗜好だが、まんこは下つきが好きだ。正面からワレメが見えるのを上つきだとして、完全に体の真下に隠れて
見えなくなった下つきのまんこ=女体=にエロスと美しさをおぼえる。体の正面から見てワレメが見える体型は女児を連想させるからかもしれない。
白い肌の中心部に黒い茂みがアクセントとして存在する。秘密の女芯が見たいのに肝心なパーツは見えない。そこに成熟した女の妖しい姿がある。
それは剃毛してパイパンになっても変わらない。神秘の唇は簡単に男の目に触れることはない。そしてパイパンは倒錯した欲望をかきたてる。
上半身には成熟したおっぱいがあるのに対し、下半身は子供のままというアンバランスな肉体に劣情が強く刺激されるからだ。
下つきまんこに顔騎されたい欲望はたいがいの男が抱いているのではないだろうか。仰向けに寝転んだ男の顔を女がまたぐ。男の口に女の淫唇が
重なる。女は清楚な仮面を脱ぎ棄て、激しく淫らに腰を振り、まんことクリトリスを男の顔に押し付けてこする。淫らこそが交尾の媚薬だ。
記憶
正常位で交尾するのは人間だけだと言われている。確かに動物は後背位でつながる。だからだろうか。ふくよかな尻を
高く突き上げ、脚を広げてバックからちんぽの挿入を待っている女を見ると正常位よりもハメたくなる。女の腰をがっちり
抑え、まんこの奥深くまで突き上げる腰の動きに太古の荒々しい欲情が漲(みなぎ)っているように感じてしまうのだ。
正常位で女の感じる顔を見ながらちんぽをこする歓びもある。女の両手をバンザイのように組み敷いて支配欲を満たす。
それもオスの本能を満たす体位に違いないが、後背位には動物的な荒々しさが詰まっているように思える。時に女の尻を
ビンタし、卑猥な言葉を口にさせるにも女は自らの顔を見せずに従うことが出来る。調教向きの体位であるからかもしれない。
色とニオイ
同じ女に色の違うパンストを穿かせてみてもニオイが変わるはずがない。ブラウンでもナチュでも黒でも同じニオイのはずだ。
でも色の違いによってこもるニオイが違うのではないかと思えてならない。黒ならニオイはそこに長く閉じ込められているのでは
ないか、ナチュは短時間でニオイも湿りけも発散してしまうのではないかと思うのだ。
むろん同じデニール、同じ環境下ならばそんなことはあり得ないことは理屈で理解できるのだが、パンつまや足裏を見るたびに
色によってニオイが異なるように夢想するのだ。直穿きでパンストを通して見るまんこの妖しさが色の違いによって異なるのに似ている。
ナチュスト越しのまんこが妖艶な生あわびのように蠢(うごめ)いて見えるのに対し、ブラウンに包まれたまんこは仮面舞踏会で
男を誘惑する貴婦人のような薫りをただよわせる。黒ストまんこはその奥に財宝が隠されているかのような秘密めいた雰囲気がある。
聖域
拷問
列車や飛行機の座席でヒールを脱いでくつろぐ女性を見かけることがある。解放感にあふれた表情で、窮屈だった足を
解放する喜びにひたっているように見える。パンつまの足指を上下に動かして空気を思う存分に吸わせているようだ。
出来るものならそのヒールを脱いだばかりのスト足のニオイを嗅がせてほしい。足裏の湿りをこの手で乾かしてほしい。
懇願することも出来ずスト足を見つめる。思わぬ僥倖に接しながらも静かに見つめることしかできない状況がそこにある。
ご馳走を前におあずけをくらっている犬のように切ない気持になる。それはある意味で拷問に近いものだ。真夏のパンストも
女性にとっては拷問のようなものらしい。「暑いからイヤだ」と言う。マチ部分をくり抜いて通気性を良くして穿かせて苦痛を和らげてやる。