ヘア解禁
正規出版物としてのヘアヌード解禁は1991年の「WATER FRUITS」と「SANTA FE」というのが年表上の定説となっている。
もちろん80年頃にはもうビニ本でヘア(=陰毛)全開の印刷物は出回っていたのだが、それらはあくまでもアングラ出版物であり
取り締まりの対象だった。ボーダーライン上のヌード掲載誌編集長とカメラマンは日常的に警察の呼び出しを受けて事情聴取に
応じていた。決して強く反論せず、「影のように見えませんか?」と、さりげなく陰毛を写していないことをアピールしていたものだ。
毛が見えるからいちゃもんをつけられるのだったら剃ってしまえば問題ない、と考えるディレクターがスチールにもムービーに
も同時発生したのもその頃だった。ただし、交尾そのものを描写することは出来ず、よがり顔の女がシーツを握りしめることで
その場を連想させるといった日本独自の映像表現を創り上げた。今から思えばバカバカしいほどの攻防が展開された。個人も
街のDPEでは髪焼きをしてもらえず、投稿雑誌にパトローネごと郵送して現像・目隠し掲載してもらった時代があった。
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No title
こんばんわ、
<街のDPEでは髪焼きをしてもらえず、投稿雑誌にパトローネごと郵送して現像・目隠し掲載してもらった時代があった。>
フィルム時代はこんな場合に不便でしたね~
デジタルに慣れてしまうとフィルムに戻れませんわ!
<街のDPEでは髪焼きをしてもらえず、投稿雑誌にパトローネごと郵送して現像・目隠し掲載してもらった時代があった。>
フィルム時代はこんな場合に不便でしたね~
デジタルに慣れてしまうとフィルムに戻れませんわ!
No title
Phyz-photoさん、いつもお世話になっております。
平熱に戻りましたが、食欲は相変わらず戻りません。ヒィヒィ言いながら仕事をこなしています。
平熱に戻りましたが、食欲は相変わらず戻りません。ヒィヒィ言いながら仕事をこなしています。